1958年以前/ネフスピールが誕生するまで〜ネフ社創業 |
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1926年 |
創業者クルト・ネフ(Kurt Naef)氏生まれる。 |
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1942年 |
家具製作の現場で実習を受けながら平行して通ったSchreiner(=木工)の専門学校を卒業。 |
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1954年 |
ネフ氏は現在のネフ社の前身、家具とインテリアの個人会社ネフ社を設立。 |
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1958年 |
ネフスピールの誕生。 |
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玩具メーカー ネフ社の発展 |
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1960年 |
ニュルンベルク国際玩具見本市に初出展。 |
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1967年 |
ネフ自社ビルの建設。 |
デザイナー、ペア・クラ−セン(Peer Clahsen)との出会い |
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1967年 |
1967年 自社工場建設の年、ネフ社はペア・クラーセンに出会う。 |
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1968年 |
キュービックスの出現 |
ネフ日本市場へ |
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1971年 |
アトリエニキティキを通して、ネフ社が始めて日本の市場に登場。現在も生産されているネフスピール、リグノ、キュービックス、ベビーボール、オルナボ、ひも通しポニー等が日本の子ども達の手に渡った。 |
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1974年 |
ネフ氏初来日。 |
バウハウス作品復刻版の製作 |
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1977年 |
20年の間にその正確な作りと塗装技術で世界一の木製玩具メーカーとして認められたネフ社はベルリンのバウハウス資料館の依頼を受け、バウハウス玩具の復刻版製作を始める。このシリーズはバウハウスに興味を持つ世界中のファンや美術館の手に渡り、ネフ社の経営に寄与。また資料館にも多額のライセンス料が入る事となった。その後も多くのデザイナーが作品をネフ社に持ち込み、ネフ社はその中からネフ社のプログラムに適した玩具を選択し、商品化までのコーディネートを引き受け、品位のあるデザイン性にも優れたネフの商品を生み出し、次々と世に送りだした。子どものための玩具、大人も魅了する構成積木、レベルの高いパズル、プレゼント用品、プレミア用品等その範囲は広い。ネフ社に作品を持ち込むデザイナーは次第に国籍を問わず多くなり、日本からも何人ものデザイナーが自信作を送り込んだ。 |
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1980年代 |
この時期はネフ社にとって充実した実りの多い時代であった。ネフ氏は自社の商品に加えて他社の商品を選び、ネフコレクションとして販売した。その選択眼は鋭い反面、ユーモア感覚に優れ、選択の分野も広く、それらがネフの自社商品と並んだ時突然美しく魅力的に見え、いつも周囲の人々を驚かせた。「コストがかかる自社の製品の製作を続けるために、ネフコレクションの販売は不可欠」とネフ氏は説明していたが、ネフコレクションが業界に与えた影響も大きかった。ネフ氏がその製品に新しい命を吹き込んだかのように、ネフコレクションで選ばれた商品やその類似品が、翌年の見本市から他社のブースで活躍することも多かった。 |
ネフ株式会社の設立〜ツォフィンゲンへ移転 |
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1989年 |
ネフ株式会社の設立。 |
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1995年 |
ネフ株式会社の顧問としての契約期間が終了。 |
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1997年 |
ネフ株式会社の初代社長と工場長が社から身を引いた時点で、ネフ社の要望で再び顧問としてネフ社に関与することになる。 |
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2000年 |
引退後はネフ社だけでなく、イタリアやドイツの玩具メーカーで作品を商品化し、デザイナーとして充実した日々を過ごしている。7月に芦屋市立美術博物館主催の『クルト・ネフ/デザインとおもちゃ』展が開催された。クルト・ネフ 氏はこの展覧会で行われた講演会のために来日。このネフ展には1970年〜2000年までのアイテム約300種、500余点が展示され、会場全体に広がる明るい色彩が、期間中1万人をこえる来場者を楽しませた。この芦屋でのネフ展は、同年4月、岡山の現代玩具博物館が、ニキティキの収集した、ネフ社の30年来の玩具を一堂に展示した『スイス・ネフの世界』展に触発された企画。日本の公共の美術館で開催されたはじめてのネフ展となった。 |
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2002年 |
4月にクルト・ネフ氏がデータベースアーカイブ作成のため来日。 |
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2003年
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4月、本社、工場がツォーフィンゲンに移転。 |
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2006年 |
クルト・ネフ氏が80歳を迎えるにあたり、スイスの出版社より氏の初めての美術書「Kurt Naef - The Toymaker」が発刊。この出版を記念し、スイスと日本で展覧会を開催。 |
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2006年
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11月30日の夕刻(日本時間12月1日早朝)、クルト・ネフ氏はスイスのZofingen市の病院にて永眠。(享年80) |
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2008年
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クルト・ネフ氏の作品回顧展開催。 東ドイツデザインミュージアム振興協会という、バウハウスからはじまる20世紀以後の東ドイツのデザインのリサーチや研究を行っている団体が主催。ドイツ北部の街ヴィスマールのSt.Georgen 教会に200点以上のネフ社の玩具やプロトタイプを展示。 詳しくは 過去のTOPICS〈21〉参照。 |
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2012年
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9月 生産工場・倉庫をドイツに移設。 生産拠点はドイツに移ったが、本社はスイス・ツォフィンゲンのまま変わらず、マネジメント等は従来どおり本社にて行う。 |
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ニキティキのはじまりはネフ社との出会いからと言っても過言ではありません。ネフ社の商品を日本の子どもに紹介したいとの思いで、ニキティキが小さな一歩を踏み出したのが1970年、ネフ社の商品に魅せられ、スイスのネフ社を訪ね日本への輸出をお願いしました。その秋、商品は到着したものの、当時の日本の玩具市場にとってネフの商品は、玩具の観念から大きくはずれていた上に価格も高く、扱ってくれるお店が見つからず悪戦苦闘。やっと8ヶ月後、玩具売場の担当の方達は売れないからと乗気でないところを、「こんな玩具の世界がヨーロッパにある事を顧客にお見せするのも百貨店の役目の一つ。責任は自分がとる。」と当時の部長の決断によって、1971年6月、新宿伊勢丹の玩具売場で「ヨーロッパからやってきた木のおもちゃ」というタイトルの販売展示開催にこぎつけました。展示会は大方の予想を裏切って成功。ネフの商品と日本人の暖かく深い関係の出発点となりました。
2012年9月にNaef社は生産・流通拠点をスイスからドイツへ移し、2013年4月より、新たにドイツ製のネフ製品が出荷されるようになりました。(生産国表記もSwiss made から Made in Germany に変更) 生産に使用する機械もそのまま新しいドイツの工場に移し、素材・原料等も一切変えず、従来どおりのゆるぎないネフ製品の品質に変更はありません。本社はスイス・ツォフィンゲンの現在地にとどまり、生産・出荷以外の業務はすべてスイス本社で行っています。 |
NAEF社ホームページ http://www.naefspiele.ch/
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